リビング

カウンター横のダンボール整理

 ※震災前の記事を更新しています
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さて、カウンターを設置した周辺はというと






こんな有様・・・なんです(汗)

何より気になるのがカウンター左横にある白いBOX・・・彼専用冷凍庫。

彼の趣味を既に知っていらっしゃる方はだいたいの想像が出来ると思いますので
敢えてここでは言いません(汗)


大きさも嫌だし、その用途もちょっといやだし
でも外に出すわけには行かないので



収納スペースに押し込めました。


押し込めた・・・と書きましたが
実はここに詰め込まれているダンボールは全て「本」

重いのなんの。

しかも引越しで腰を痛めているのか力が出ない。


でも「思い立ったら我慢が出来ない」人間なので
なんとか時間をかけて積み上げました。





このスペースは「図書廊下」が出来るまでこのままだと思うので
一応布で簡単な目隠し。



スッキリしたカウンター周辺に照明を置いてみました。





ではカウンター周辺ビフォー&アフターです。



■ビフォー■

■アフター■





■ビフォー■

■アフター■










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東北地方太平洋沖地震の復興に必要な費用を
日本の就労者一人当たりに計算すると9万円だと聞きました。

このブログと共に私も小さい所から頑張ります。

http://blog.calyn-house.com/?eid=374

頑張りましょう。


今日は450円





兵庫県・西宮市議員の今村岳司さんのブログから、勝手に文章を抜粋させていただきます。
※サイトはこちら(http://xdl.jp/diary/

被災を経験していない者が被災者や被災地の力になれる事はなにか
とても考えさせられました。





「あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている」


16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。

それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。

記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。

今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。

でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。

吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。

でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。

いらい、日々仕事に集中していても、

何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。

不安なことや面倒なことを抱えているときのような。

よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。

だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。

彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。

そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。

何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして

彼らを追い返してくれました。

彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。

震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、

大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。

ある教授はこういいました。

「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、

 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」

研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に

「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。

部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、

被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、

腹が立ったからだとわかりました。

記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、

他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、

記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。

自分が育った家がなくなったこと、

小さなころの写真が一枚もないこと、

家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、

大好きだった街が廃墟になってしまったこと、

そんなことは、もうなんとも思っていないのに。

   ■   ■   ■   ■

私はこの地震で何も失っていない部外者です。

そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。

ただの「被災していない人」です。

被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。

分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、

相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。

とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。

「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考える

コメント

  1. tinyfish より:

    そうなのか。。。と、よくわかりました。書いてくださってありがとう。プロはちがうね。何のプロでも、プロって違うんだと思います。

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